リュート|茶の湯その周辺|卜深庵  

茶の湯その周辺

リュート          記:川崎益彦


千利休とリュート

千利休が活躍した安土桃山時代は、ヨーロッパでは中世・ルネサンス文化が花開いた大航海時代にあたります。多くの南蛮船が日本を訪れ、『黄金の日々』と呼ばれた堺はその貿易港として、また世界でも有数の自由都市として発展していました。その南蛮船にはフランシスコ・ザビエルやルイス・フロイスといった宣教師や商人のみならず、音楽家も同行していたと考えられ、織田信長や豊臣秀吉が当時のヨーロッパ音楽を聴いたという言い伝えも残っています。その中心的な楽器がリュートで、南蛮貿易の拠点となった堺で、ヨーロッパの人々と商取引があり経済的にも文化的にも豊かで好奇心旺盛な堺の会合衆や納屋衆が南蛮人による演奏を堺で聴き、その中に千利休もいたことは容易に想像できます。


リュートとは

15~17世紀(中世~ルネサンス~バロック期)を中心にヨーロッパのほとんど全ての国で愛用され「楽器の王(女王)」とさえ呼ばれるほど人気のあった楽器です。起源は中近東で祖先は中世のアラビアで愛用されていた「アル・ウード」と言う楽器で、日本の琵琶も同じ起源だと言われています。当時のアラビアの商人がヨーロッパにこれらの楽器を持ち込んだことから独自に進化を遂げ、現在のリュートになったと言われています。その人気ぶりは、当時の詩人たちを初め、マルチン・ルター、ヘンリー8世、エリザベス女王1世、ルイ13世、なども一生懸命リュートを習っていました。



天正遣欧少年使節の聚楽第御前演奏

4人の少年を中心とした天正遣欧少年使節団は1582年2月長崎を出港し、苦難の末2年半後にリスボンに到着しました。スペインを経てイタリアに入り、ローマ教皇グレゴリオ13世に謁見することができました。しかしながら8年以上に及ぶ長旅の間に、日本におけるキリスト教の状況は一変していました。キリスト教を保護していた織田信長はすでに亡くなっており、少年たちの主君であるキリシタン大名たちもこの世を去っていました。何とか豊臣秀吉の支持を得ようとの希望を持って、1591年3月3日、京都の聚楽第においてヨーロッパから持ち帰った楽器で、豊臣秀吉の御前で演奏しました。その際、千利休がお茶を点て、秀吉と一緒に演奏を聴いたのではないかと思われます。

川崎益彦



ページの先頭へ戻る