茶と酒の徳

 

 肝胆相照らす弟分と、これまでミャンマーやカンボジア、タイ等の海外をはじめ八丈島や長崎、東京の御岳など国内各所に赴き、名も知らぬ人々と親交し、ご当地の酒や料理を堪能する旅を重ねてきた。偶然、運がよかったのか常に多くのいい出会いを体験し、それは何にも代え難いすばらしい思い出となっている。そして、この出会いは酒と茶を介しての一期一会のすばらしい瞬間であった。

 酒が奇縁となった出会いに、ミャンマーで酒を飲むことのできない仏教の聖地を訪ねた時、二十代のポーター数名と懇意になり、彼らの家を訪ね、ローソクの灯りのもとでヘビ料理を肴に「ビービー」なる闇酒をいただいた。ベトナムでは、観光客も訪れない田舎の村で、八十歳の祝いをしているおばあさんのお宅で知らぬうちに私たちの席が設けられ共にお祝いをしたこともある。また、フィリピンのマニラでは夜中に、いわゆるスラムで見知らぬ人々とビールを飲んで盛り上がり、最後はその一角に住むニューハーフの方の狭い部屋で、すし詰めになって酒盛りをした。カンボジアではツクツクの運転手の家で、家族の手料理をご馳走になって、ご当地のビールと自家製の美味しい料理で楽しい宴を催してもらった。国内では、八丈島で七十代のおばあさんがママさんのスナックで、常連さんを交えてご当地名産の焼酎、そして何よりママさんのご主人が四十年にわたり秘蔵していた四本の焼酎を私たちのためにだけ一本飲ませてもらったこと。ソウルの屋台では釜山からきたというご夫人と意気投合し、たらふくご馳走になったこと等である。本当に楽しくまた美味しい酒と料理、何よりも心のこもったもてなしを忘れることができない。

 茶のお陰で得難い体験をしものに、マニラのスラムで懇意になった人の屋根裏のような家で、そこの家族と飲んだ茶。彼らはお返しにビールを振る舞ってくれた。ベトナムの片田舎の食堂で二人で点前をして店の主人親子にお茶を差し上げた茶会。カンボジアでは前出のツクツクの運転手の家で、薄暗い灯りのもとでお茶を差し上げた会。彼は私たちのために貴重な鶏を潰してもてなしてくれた。マニラの茶会の田舎では、その村の有力者のお宅を突然訪ね、その家の応接間ででマダムとお茶を飲んだ会。この時はお返しにマダム自らがヤシの実をとってきて、私たちの目の前で鉈を使ってヤシを割って美味しいヤシジュースを振る舞ってくれた。八丈島ではママさんが店を貸し切りにしてくれて、前日の常連さんも交えて催した茶会。そのお返しとして、ママさんはわざわざ私たちのために海に水を汲みにいき、名産のジャガイモをもゆがいてくれた。そしてクサヤを焼き、タケノコをとってきてくれて焼酎をご馳走になった。伊藤の飲み屋さんでは女将さんと誰もいない座敷で三人だけで盆点前でお茶会をした。同じように小田原の旅館でも女将さんと嫁さんと一碗の茶を通じて意気投合した。楽しい茶の思い出は限りない。

 江戸後期の戯作文に『酒茶問答』という本がある。三五園月麿なる人物が天正年間の僧蘭叔玄秀が著した『酒茶論』を和文に焼き直した作である。飲み物の雄である「酒」と「茶」が互いに優劣を競う内容である。酒は花間に(むしろ)を開いて酒を飲む忘憂君(ぼうゆうくん)、茶は松辺に茶を喫する滌煩子(じょうはんし)の二人が、中国・日本の故事を引いてそれぞれのその徳を述べ論じ合い,最後は一閑人が登場して酒はお酒,お茶は茶といって勝負なしでめでたく納まるという内容である。

 

 長ずるは及ばざるにしかず、好みて量をすぐるは僻疾(へきしつ)所為(せい)なり、考ふるに、酒も日毎に三盃、茶もまた日毎に五碗ならば、利有て損なし、(たと)ひ千金の良剤穀肉(りょうざいこくにく)の良蒟たりとも、度に過る則は害あり、此中如何ぞ是非を入む、酒茶の得失彼を誹るべからず、これも誉べからず、憎愛によって相争ふは公論にあらず、吾は酒を程よくし、茶を程よくせん

 

という一文がある。まさに過ぎたるは及ばざるが如しである。健康の側面だけでなく、万人が承知していることであるが、酒も茶も見知らぬ人の心を和ませ、心を一つにするすばらしい効能がある。いずれもその場にいる人を融合させ、その感覚を共有することにより、人間関係の中の協同意識や連帯感を強化する働きがある。これを飲めば互いに本心で語り合うことができ、これがまさに「直心の交わり」である。そういう意味では人間関係の潤滑油といえるであろう。酒と茶という飲み物には、国や民族の境を超え、立場を超えて一座を建立する力があるのである。

 

酒に眠り茶にさましつつ春の雨

 












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