平瀬水

 

 五代(すい)は文化三年(一八〇六)に春郷の子として生まれている。はじめ亀之助、のちに宗十郎と名乗り、士潤(しじゅん)と号し、文政三年(一八二〇)に家督を相続している。水は生来病弱であったため、義兄の呑光(どんこう)(勝古)が家政を補佐している。天保元年(一八三〇)、播州山崎で病気療養中に、水の養生所として浮世小路御霊筋の「小路座敷(浮世小路別宅)」の普請が行われていて、この時に直斎好みの茶室一方庵が武者小路千家から移築されている。なお、七代露香(ろこう)はこの一方庵のあった小路座敷で大半を暮らし、「一方庵」と号している。

 水は茶の湯を松斎に師事し、文政十一年(一八二一)十二月二十一日から五日間にわたり、梶木町の卜深庵で連会茶事を行っている。水は小路座敷で病気療養をしつつ、読書や茶の湯を楽しんでいたようである。

 



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