平瀬春温|卜深庵の歴史|卜深庵  

平瀬春温

 

 五代春郷の六男で、兄水が天保六年(一八三五)に亡くなったことにより、十八歳で家督を相続した。はじめ収五郎、のちに宗十郎と名乗り、士陽(しよう)と号している。天保六年(一八三五)に家督を相続している。

 春温(はるあつ)は茶の湯を松斎に師事し、武者小路千家十代以心斎の門人録には天保十年(一八三九)に小習六ヶ条と唐物点・茶通箱を松斎の取次ぎで受けている。松斎の他会記「昨今茶事扣」に、春温が卜深庵で催した十三回分の茶事の会記が記録されている。春温は実際に茶事を通じ松斎の指導を受けている。

 嘉永三年(一八五〇)、春温は本宅東隣の控邸の改造をし、玄関・茶室・開きの間・腰掛待合・砂雪隠・中門・水屋・懐石料理室・袴付等を包含する大茶亭としている。この控邸は天保二年(一八三一)に春郷が尼崎屋市右衛門から代銀五十五貫目で本宅東隣を買い取ったもので、同七年(一八三六)に台所・居間・茶室等を春郷が普請したものである。茶室には二代得浅斎の参禅の師である大徳寺拙叟宗益(せっそうそうえき)筆の額が掲げられた又隠(ゆういん)写しで、その露地は松斎の作庭である。露地には堺南宗寺集雲庵(しゅううんあん)の袈裟型蹲踞(つくばい)と織部灯篭が据えられていた。又隠写しには六畳の続きの間があった。茶室の造作にも松斎が関係していたと考えられる。

 



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