比叡山・坂本・志賀の茶の湯遺跡

                                      木津宗詮

過日、比叡山延暦寺大講堂での恒例の伝教大師御影供の献茶奉仕を終え、奉仕参加者6名で比叡山並びに坂本、志賀の茶の湯に関する遺跡を見学した。
以下、それを紹介する。



建仁寺開山千光祖師(栄西)旧跡
栄西は、南宋より臨済禅と新たな茶種を持ち帰り栽培し、わが国最初の茶書『喫茶養生記(きっさようじょうき)』を著して喫茶の普及と奨励に勤めた。そしてその後のわが国における喫茶の習慣が広まるきっかけを作ったとされ、今日、日本の茶祖としても尊崇されている。その栄西が14歳の時に比叡山で出家得度をし、22歳まで天台の教学を学びんだとされる地である。


日吉茶園
最澄が延暦24年(805)天台山から持ち帰った茶種を比叡山麓の坂本(大津市)に植えたのがもととされる茶園である。東京大学の研究グループが、日吉茶園の茶葉と中国浙江省天台山に現存する茶葉との比較で、同種であるとDNA鑑定の研究結果が発表されている。現在、この茶園で摘まれた茶を日吉大社の山王祭で献茶されている。


崇福寺旧址
崇福寺は大津市滋賀里にあった官寺で、天智天皇が霊夢により大津宮の北西山中に建立したとされている。 梵釈寺は崇福寺と隣接した王城鎮護の官寺であったが13世紀以降全く廃絶している。 『日本後紀』によると、弘仁6年(815)4月に嵯峨天皇が滋賀郡韓埼(大津市唐崎)に行幸した際、梵釈寺の永忠は嵯峨天皇を同寺に迎え茶を煎じて献上している。

  廿二日、近江国滋賀韓崎に幸す。便ち崇福寺を過ぐ。
  大僧都永忠、護命法師等、衆僧を率い、門外に迎え奉る。
  皇帝輿を降り、堂に上り、仏を礼す。更に梵釈寺を過ぐ。輿を停めて詩を賦す。
  皇太弟および群臣、和し奉るもの衆し。大僧都永忠、手自ら茶を煎じて奉御す。
  御被を施さる。即ち船に御し湖に泛ぶ。国司、風俗歌舞を奏し、
  五位巳上ならびに掾以下に衣被を賜う。
  史生以下郡司以上、綿を賜うこと差あり。


永忠は空海とも親交のあった入唐留学の経験のある三論宗の僧である。わが国に喫茶の風習が伝えられたのは入唐僧たちによってであった。 『日本後紀』に見えるこの記事は日本最初の喫茶史料で、当時の唐風文化にあこがれる上流貴族や知識層の間に喫茶が流行したことは『凌雲集』等の漢詩文集でうかがうことができる。 嵯峨天皇が梵釈寺に行幸したのが永忠が帰国してから10年の時が経っていて、永忠が唐から持ち帰ったものなのか日本でつくられた茶なのかは不明である。 『図録茶道史』に林屋辰三郎は永忠帰朝とともに植えられ10年して生育した茶を献上したものではないかと推察している。なお、近辺の茶樹はその茶園由縁の樹とされている。



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