木津宗詮2019年6月28日読了時間: 8分木津松斎筆 聞書 1卜深庵木津家初代松斎宗詮が記した、一啜斎の聞書の帛紗の項と帛紗の記述です。 一、色ハ紅・黄・紫三色なり。近年一啜斎にて、栗かわ茶出来申候。紅ハ十五歳已下と、古稀以上の人用ゆるなり。寸法ハ九寸五分ニ八寸五分なり。是ハ真伯時代ニ、三家共申合、此寸法ニ極め、其時より一文字屋三右衛...
木津宗詮2019年3月29日読了時間: 2分宗栄伊勢の海をうかひいてゝも 老ゑひのこしかゝまりし 身をいはふらし 官休庵 宗栄(花押) 伊勢の海に浮きび上がった海老、それも年を負った海老は腰を丸めて曲がったその身を祝っているようです。 海老はヒゲが長く腰が曲がった姿から、古来長寿の象徴とされてきました。昨日用いた望月玉渓...
木津宗詮2019年3月6日読了時間: 16分湊川神社献茶祭このたび、湊川神社の献茶祭を家元が奉仕する。その副席を卜深庵が担当することとなった。そこで釜を掛けるにあたり、ご祭神楠木正成公の認識を深めるべく、その故地である千早赤阪村を訪ねた。 楠木正成公は南北朝の武将で、河内国の土豪で橘氏嫡流の為政(ためまさ)の後裔楠木正遠(まさとお...
木津宗詮2019年3月6日読了時間: 5分野点天正15年(1587)、豊臣秀吉が豊後(ぶんご)の大友宗麟(おおともそうりん)の懇望により、当時、大友氏を脅かしていた薩摩(さつま)の島津義久(しまづよしひさ)の征伐に九州に出兵した。まもなく義久は無条件降伏をし、秀吉はその帰路筑前箱崎(ちくぜんはこさき)に赴き、筥崎宮(は...
木津宗詮2019年3月5日読了時間: 6分四頭茶会去る四月二十日、京都建仁寺(けんにんじ)で開山栄西(ようさい)禅師の誕生を祝い、その遺徳を偲ぶ行事として行われている四頭(よつがしら)茶会に参加した。栄西禅師は二度にわたり当時南宋(なんそう)と呼ばれていた中国に渡り、わが国に本格的な禅を最初に伝え、また茶樹の栽培と喫茶の風...
木津宗詮2019年3月1日読了時間: 12分認得斎・一啜斎合筆桃画賛と認得斎筆白紙賛 裏千家十代認得斎(にんとくさい)と武者小路千家八代一啜斎(いっとつさい)の合作になる桃画賛と、認得斎の白紙賛(はくしさん)の二軸を通し、裏千家における好々斎と、武者小路千家に入家するまでを見ていきます。 結實三千歳 (桃絵)(一啜斎花押)(認得斎花押) 結實三千年...