木津宗詮3月21日読了時間: 1分ぼた餅・おはぎ牡丹の花に見立てたことから「ぼた餅」、萩の花が咲き乱れている様子に見立てたものということで「おはぎ」。春に食べるのが「ぼた餅」で、秋は「おはぎ」とか。また餡ものが「ぼた餅」で、きな粉が「おはぎ」とか、もち米を主とするものが「ぼた餅」、うるち米を主とするものが「おはぎ」である...
木津宗詮3月21日読了時間: 1分3月21日 稽古場の床夜の稽古場は、松平不昧公の賛になる狩野栄川院の画像を掛けました。前に須田菁華作になる三代聿斎宗泉好みの香炉を丸香台に載せ、床柱に七代中川浄益の青銅経筒に加茂本阿弥と土佐水木を入れました。 不昧公の賛は公の参禅の師である大巓和尚の利休居士像の賛語の写しです。...
木津宗詮3月21日読了時間: 2分3月21日 稽古場の床大徳寺の大綱和尚の一行「花開自蝶来」です。花は三夜荘椿と白玉椿、土佐水木を竹置筒に入れました。三夜荘は西本願寺の大谷光尊が宇治に営んだ別荘「三夜荘」にちなみます。三夜荘に原木があり、一重で白地紅吹掛小絞になる椿で、昭和58年に発表された新しい椿です。...
木津宗詮3月17日読了時間: 1分大應国師普光塔後宇多天皇遺髪塚にお参りしました。御堂の中に遺髪塚と大應国師(南浦紹明)の普光塔が祀られています。現在、大応国師の塔所である龍翔寺は大徳寺の山内にありますが、元々この地に後宇多上皇が離宮柳御所を寄進して建てらました。のちに大徳寺山内に移転し、明治初年に廃寺となりました。大正...
木津宗詮3月17日読了時間: 2分3月16日 稽古場の床一啜斎筆になる道歌を掛けました。加茂本阿弥と西王母・山茱萸を一指斎の竹置筒「竹の葉山」に入れました。 すくなるも又曲れるも おしゑ草茶湯に ふたつ無きとこそ しれ 枝雲庵宗守(花押) 真っ直ぐにありのままに教えるのも、曲がった素直でない教えも、どちらも茶の湯の教えです。まっ...
木津宗詮2月28日読了時間: 1分清く世をわたる売茶翁詠草短冊 名を賣らむこゝろハあらて木の芽烹る すまひに清く世をわたる也 売茶翁八十六歳の時の作になる詠草。銀砂子を散らした短冊に、自らの茶は売名のためではなく、清く世を渡るために嗜むのであるという心境を和歌に詠じています。なお、南画家で煎茶習軒流の家元でもあった坂田習...
木津宗詮2月27日読了時間: 1分かいでひな香合売茶翁の手造りになる香合です。「かいで」とは「鶏冠井(かいで・楓も古名噦かえるで器の訛り」のことで、鶏の鶏冠が赤い楓に似ていることから鶏を意味します。その雛を表現した愛らしい品です。
木津宗詮2月24日読了時間: 2分梅花祭2月25日は菅原道真公の祥月命日ということで、北野神事奉行松梅院禅隆の菅公図を床に掛けました。 北野天満宮では御祭神をなだめる祭典である梅花祭が行われます。この祭典では、「梅花御供(ばいかのごく)」と呼ばれる四斗の米を蒸し「大飯(おおばん)と小飯(こばん)」・梅の小枝を使っ...
木津宗詮2月24日読了時間: 1分2月22日 稽古場の床近衛文麿の「魚鳥来親人(魚鳥來て人に親しむ)」。胡銅熨斗形花入に藪椿と水仙を入れました。 近衛文麿は武者小路千家先々代家元の門人です。昭和15年、利休三百五十回忌と紀元二千六百年を記念して再建された家元茶室弘道庵の扁額を揮毫しています。なお実弟水谷川忠麿が篆刻しています。忠...
木津宗詮2月7日読了時間: 1分永谷宗円永谷宗円(1681〜1778)は、名を宗七郎義弘、三之丞ともいい、剃髪して宗円と号しました。山城国湯屋谷村(京都府綴喜郡宇治田原町)の篤農家。茶業の他、湿田改良などの事業を行い、村人を指導した。「青製煎茶法」を開発し、また宇治茶を江戸に直販して、煎茶の普及に多大な功績を残し...
木津宗詮1月31日読了時間: 1分愈好斎好み 鉄打出広口尾垂釜愈好斎好みになる「鉄打出広口尾垂釜」です。作者は大森長兵衛、通常金長です。約3ミリほどの鋼板を真っ赤になるまで加熱して金型に当ててハンマーで打ち出し、三つの部位をつないで釻付を差し込んで釜にしています。 機械化された今日も、金属加工で、新幹線やモノレールの顔である先頭構体な...
木津宗詮1月29日読了時間: 7分鍛冶對馬安田是誰(ぜすい)の事跡ついては多く伝わっていません。元禄15年(1702)、京都に生まれ、禁裏御用の鍛治師で、武者小路千家6代真伯の門人でした。『京都御役所向大概覺書』の享保元年申改の「諸役御免除之分」の中に、 貳軒役 西堀川通中立売上ル町...
木津宗詮1月26日読了時間: 2分南山寿の如し一指斎10歳の時の筆になる「南山如寿(南山寿の如し)」です。 出典は『詩経』小雅で、臣下が君を祝福する詩「天保(てんぽう)」です。 如月之恒、如日之升、如南山之寿、不騫不崩、如松柏之茂、無不爾或承 月の恒(つね)なるが如く、日の升(のぼ)るが如く、南山の寿の如く、騫(か)け...
木津宗詮1月24日読了時間: 1分呉竹聿斎は明治42年(1909)に、大韓帝国といっていた朝鮮釜山の迫間房太郎の東莱別邸の設計で赴きました。その後も2回渡鮮しています。この茶杓は当時京城、現在のソウルで桑の材木をもとめて持ち帰り作られたものです。銘は藤原家隆の「時わかぬおのか枯葉はつもれどもいろもかわらぬ庭のく...
木津宗詮1月17日読了時間: 1分平瀬露香生誕地天保10年(1839)7月22日、当時22歳で収五郎、のちの千草屋6代目春温と高井れいとの間に篠葉村の別邸(大阪市北区中津・現大淀警察署)で露香は生まれました。 生まれた時が「亥の年・亥の日、亥の刻」であったことから、後年、「三亥子」の雅号を名乗っています。別邸の北側に萩の...
木津宗詮1月11日読了時間: 2分あれから7年3代聿斎は明治42年に初めて渡鮮し、その後二度に渡り彼の地に赴いています。大正2年に釜山から東莱温泉の迫間別邸に向かう途上、「春の山朝日をうけて笑ひけり」と吟じています。この軸はその道中の風景を描き、その句を賛として認めています。なお、清に朝貢品で評価の高かった朝鮮紙を用い...
木津宗詮1月8日読了時間: 3分杉木普斎の相伝万治元年(1658)、宗旦が没します。この時、普斎は31歳で、茶の湯の奥義である真台子の相伝(皆伝)を受けることなく、修行半ばで師を亡くし、のちに一翁について伝授されています。同じく四天王の一人、山田宗徧は浄土真宗の寺の息子に生まれ、十八歳の時に宗旦に入門し、のちに還俗して...
木津宗詮1月7日読了時間: 2分七草一月七日は五節句のひとつである「人日(じんじつ)」です。正月一日から六日までは獣畜を占い、七日目になって人を占う日とされていたことが起源となっています。一日を鶏の日、二日を狗(犬)の日、三日を猪(豚)の日、四日を羊の日、五日を牛の日、六日を馬の日とし、それぞれの日にはその動...
木津宗詮1月3日読了時間: 1分宝船初夢を見るのはもともと節分の晩とされていました。上方ではその風習が残り、のちに江戸では正月二日の晩に見る夢を初夢とするようになったということです。明治以降は元日から二日とするのがより広まったそうです。初夢を見る前夜、枕の下に「宝船」の絵を敷いて寝ると良い夢が見れるという風習...
木津宗詮2023年12月30日読了時間: 4分火箸茶の湯で用いる火箸は、鉄や砂張、真鍮、南鐐、素銅、黄銅などの金属を材とし、槌で打って延ばす打延べ、中が空洞の素張(張抜き・袋張)、金型に溶湯を鋳込む鋳ぬきなどの製法により造られます。また古社寺の瓦釘を利用したものもあります。形状は丸形や角形、櫂形、菱形など種々あり、装飾とし...