木津宗詮2023年7月4日読了時間: 1分理平焼当代不徹斎家元が宗守襲名前の宗屋時代に好んだ先代紀太理平作になる理平焼波絵茶碗です。 理平焼は、初代高松藩主松平頼重が野々村仁清の弟子森島作兵衛を招き焼かせた御庭焼がルーツとなっています。のちに作兵衛は紀太理兵衛と名を改め、高松藩別邸栗林荘の北に窯を築きます。以降、代々「理...
木津宗詮2023年6月16日読了時間: 1分血池焼ある方からいただいた血池焼という焼物の茶碗です。 かつて大分県別府市にあった窯と聞きました。薄手でしっかりとした箆目のある小ぶりな茶碗です。それにしても物凄い名前です。別府に血の池地獄という温泉があります。多分、これに由来する名前だと思います。詳細については全く分かりません。
木津宗詮2023年6月14日読了時間: 2分茶道学術奨励賞私の七代宗詮襲名の記念に執筆した『千一翁 宗旦の子に生まれて』(宮帯出版)が、公益財団法人三徳庵(大日本茶道学会)な茶道文化学術評価され、茶道文化学術奨励賞をいただきました。 ちょうどその授賞式が学士会館で行われたのが2014年6月16日でした。あれから9年の歳月が経っ...
木津宗詮2023年6月1日読了時間: 3分徐煕の鷺絵同じく卜翠会総会、並びに研修会の床に掛けた土佐光孚(みつざね)による徐煕(じよき)の鷺絵写しです。今回の研修会は北野天満宮と豊臣秀吉が催した北野大茶湯がテーマでした。北野大茶湯で奈良の松屋が石鳥居脇の茶席で徐煕の鷺絵と松屋肩衝、存星(ぞんせい)の長盆の「松屋三名物」を持ち出...
木津宗詮2023年5月30日読了時間: 3分鑑識眼先日、卜翠会の総会の床に掛けた大徳寺大徹宗斗の松本肩衝茶入の画賛です。 松本肩衝茶入之図 古田宗屋居士 (図) 此景ヲ賞 小堀宗甫居士 (図) 此景ヲ賞 千利休居士 (図) 此景ヲ賞 いにしへの人の心のちからをハ 見よとやうつす水くきの跡 前大徳般若閑衲大徹叟(印)...
木津宗詮2023年5月11日読了時間: 1分明恵上人大徳寺の大綱筆「栂尾明恵上人」です。 栂尾明恵上人 大綱敬書(印) 明恵は鎌倉時代の華厳宗僧で、華厳宗興隆の志を起し,東大寺や神護寺などで修行し、栂尾(とがのお)に高山寺を開き、華厳の中興といわる名僧です。 明恵上人は建仁寺の栄西禅師が宋(中国)から持ち帰った茶の実を譲られ...
木津宗詮2023年5月2日読了時間: 2分八十八夜八十八夜 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みぢやないか あかねだすきに菅の笠 田中訥言の茶摘図です。覆下(おおいした)の茶園で、頭に手ぬぐいを被り、縞の着物に赤い前掛け姿の女性が茶を摘んでいます。茜襷はしていませんが、この前掛けは茜染めのようで...
木津宗詮2023年4月25日読了時間: 3分立礼卓高齢になり脚を傷めて正座が出来なくなり、心なくも茶の湯わやめていく方が以前から増えています。そうした方たちが長年にわたり支えてくださったおかげで今日私たちが茶の湯をすることができるのです。なんとかしてそのご恩に報いることができないかと、10年以上前から社中の数寄屋大工の木村...
木津宗詮2023年4月24日読了時間: 1分銭茶先日韓国の魯先生にかつて韓国で作られていた銭茶を再現したものをいただきました。陸羽の『茶経』にある団茶の製法とほぼ同じものです。ただし韓国の銭茶は火で炙って沸騰した薬缶の湯にに入れて飲まれていたものです。 今回私もかつての製法をもとに作ってみました。木臼は手元の摺鉢、形を作...
木津宗詮2023年4月12日読了時間: 1分時雨桜月輪寺の時雨桜です。 架蔵に先々代愈好斎の書付になる時雨桜で作られた茶杓があり、一度その木を見てみたいということで月輪寺を訪ねました。 月輪寺は愛宕山の東山腹にあり、月輪関白九条兼実が隠棲した地です。兼実は法然に深く帰依して円澄と号しました。法然と弟子の親鸞が流罪となる際、...
木津宗詮2023年3月31日読了時間: 1分松平不昧公もとは浄土宗江戸四ヶ寺のひとつ、芝の天徳寺にあった松平不昧公の墓です。関東大震災の被害に会った際、松江の月照寺に移されることになっていましたが、高橋箒庵が護国寺に移転しました。 初代松斎宗詮は大坂木津の願泉寺に生まれ住職として勤めます。四天王寺で雅楽を嗜み、寺を弟に譲り江戸...
木津宗詮2023年3月28日読了時間: 1分利休忌稽古場の床に松平不昧公の賛になる狩野栄川院の利休居士の画像を掛けてお祀りしました。不昧公の賛は大巓和尚の利休居士像の賛語の写しを認めています。 頭上之巾 手中之扇 制喫茶道 引紛奢人 頭上巾(きん) 手中の扇(せん) 喫茶の道を制し 奢人(しゃじん)を引紛(いんぷん)す...
木津宗詮2023年3月17日読了時間: 2分私の席昭和15年(1940)4月21日に三千家が施主となり利休居士三百五十年遠忌法要が大徳寺法堂で営まれました。そして法要では表千家即中斎、裏千家淡々斎、武者小路千家愈好斎により献茶が、また、法要の実況放送も行われました。法要の導師は当時大徳寺管長であった大梅窟でした。...
木津宗詮2023年3月14日読了時間: 1分8代目千家出入りの炭屋泉春石津商店です?。200年前に公家の勧めで炭屋に家業を改めて現在に至っています。当代で8代目だそうです。元々は烏丸今出川辺りにいたそうですが、幕末の騒乱を避けて西洞院竹屋町の地に移転したそうです。公家をはじめ三井家の出入りで、現在は茶の湯の炭を専門に扱って...
木津宗詮2023年3月14日読了時間: 1分銭茶・青苔茶昭和15年に刊行された、諸岡存・家入一雄著『朝鮮の茶と禅』によると、かつて朝鮮・韓国で「銭茶・青苔茶」という団茶が全羅南道で作られていたとあります。 5月ころに柔らかい茶葉を摘み、蒸器で葉を蒸します。その葉を釜に入れて両手で箸を一本ずつ持ってかき混ぜながら炙ります。葉が完全...
木津宗詮2023年3月12日読了時間: 1分鶯宿梅林光院さんのご厚意により、鶯宿梅のひと枝をいただき、茶事の後座の床に入れさせてもらいました。鶯宿梅がより引き立つように青竹の尺八、それに直斎の茶杓「鶯宿梅」を用いました。茶杓は鶯宿梅の古材で作られたもので、直斎と林光院を橋渡ししたと思われる売茶翁の掛物を初座の床に掛け、香合...
木津宗詮2023年3月5日読了時間: 1分売茶翁出家の地売茶翁の遺跡です。11歳の時に龍津寺の化霖和尚について得度しました。この地が売茶翁の原点です。かつて流儀の機関誌に売茶翁について連載しました。ようやく訪れることができました。 なお、寺は昭和20年に火災で焼けてしまったとのことです。
木津宗詮2023年2月28日読了時間: 2分利休忌天正19年(1591)利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられました。弟子である前田利家や、古田織部、細川忠興らの大名たちが助命に奔走しますが適わず、改めて京都に呼び戻され切腹を命じられます。そして2月28日に聚楽屋敷内(現、晴明神社)で切腹して果てました。享年70。...