木津宗詮1月15日読了時間: 2分松の内松の内とは年の暮れに松飾(門松)を立て門口にしめ縄を張ってお迎えした歳神様に滞在していただきもてなしをする期間をいいます。松飾は歳神様が道に迷うことなく家に来るための目印・神籬(ひもろぎ)、家に歳神様の滞在を示す印とも言われています。しめ縄は歳神様が滞在している間外界の穢れ...
木津宗詮1月11日読了時間: 2分機転子日の遊びは、わが国の春の野遊びの習俗を根底とし、丘に登り四方を遠く望んで陰陽の静気を浴びて憂いを除くという中国の習慣とが一つになってはじまった正月行事です。宮中では紫野などの郊外に赴き、若菜を摘みそれをあつものにして食べ、千年の齢をもつ松の若木を根から引き抜いてその長寿に...
木津宗詮1月2日読了時間: 1分しののめしののめの別れを惜しみ我ぞまづ 鳥よりさきになきはじめつる 「しののめ(東雲)」とは、夜が明けようとして東の空がわずかに明るくなる頃のことをいいます。 明かり取りの窓の篠竹の目が明るくなることが語源とのことです。
木津宗詮2023年12月5日読了時間: 2分広大無量歌舞伎の「勧進帳」は、壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経が、兄頼朝から謀反人として追われる身となりました。そこで山伏姿に身をやつした弁慶たち数人の家来とともに、その荷物持ちの強力に変装して、奥州の藤原秀衡のもとをたよって陸奥国(東北地方)へと落ちのびていきます。加賀国(石川県)安...
木津宗詮2023年12月3日読了時間: 1分道明らけき寺の名夜は明けぬれど心の闇路、照らすは法(のり)の御誓ひ、道明らけき寺の名も、道明寺とて今もなほ、栄えまします御神の、生けるが如き御姿、こゝに残れる物語。 「菅原伝授手習鑑」二段目「道明寺」。無実の罪で左遷される菅原道真公が、配所に赴く前に叔母君覚寿尼公に暇乞いに道明寺を訪れ、悪...
木津宗詮2023年11月7日読了時間: 1分門を開けば落葉多し雨を聴いて寒更尽き 門を開けば落葉多し 『全唐詩』の無可上人の「秋に従兄の賈島に寄す」の句の一節です。 秋深くに粗末な家に閑居して、寒さが増していき侘しい思いが募る秋の夜長。パラパラと屋根に当たる時雨の音が聴こえます。その音をききつついつのまにか寝入ってしまいました。翌朝、...
木津宗詮2023年10月15日読了時間: 1分東籬東籬 盧を結びて人境にあり 而も車馬の喧(かまびす)しきなし 君に問う何ぞ能く爾(しか)るやと 心遠ければ地も自ずから偏なり 菊を采る東籬の下 悠然として南山を見る 山気に日夕(にっせき)に佳く 飛鳥相い与(とも)に還る 此の中に真意あり 辨全と欲して已に言を忘る...
木津宗詮2023年9月28日読了時間: 1分蔦の細道駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人に逢はぬなりけり 『伊勢物語』の業平東下りで、静岡の宇津ノ谷峠で詠まれた歌です。「蔦の細道」を通って峠を超えました。蔦の細道は平瀬家旧蔵の仁清の茶碗が有名です。それを元に先先代家元愈好斎が襲名の時に永楽妙全で好んだ茶碗で馴染みが深いで...
木津宗詮2023年6月22日読了時間: 1分斑唐津茶碗 山端武者小路千家10代以心斎の銘「山端」茶碗です。金継ぎが施され、それが景色となった沓形の斑唐津です。 箱には、 五月雨ははれんとやする 山端の かゝれる雲のうすくな りゆく 守(花押) と花園院の和歌が認められています。 天保6年(1835)に9代好々斎が無嗣で41斎で亡くな...
木津宗詮2023年6月14日読了時間: 2分雨雨降地上湿 七十七翁 宗詮(花押) 雨降って地上湿う 初代の木津松斎木津宗詮の一行です。わたしから六代まえの宗詮です。茶家としての卜深庵木津家の創始者です。今から168年前の安政2年(1855)81歳で亡くなっています。...
木津宗詮2023年6月8日読了時間: 1分6月8日 稽古場の床 2江戸時代後期の公家千種有功の「蛍」の詠草を掛けました。床柱に鉄仙と蛍袋を蛇籠。 正三位有功 とふほたる舞 しと はかり見すく すハ おもひなきみの うへにこそ あれ
木津宗詮2023年5月18日読了時間: 1分5月18日 稽古場の床本日の稽古の床は大徳寺大綱和尚の「待郭公(ほととぎすをまつ)」です。紫蘭、紫露草、雪の下、躑躅、段菊を魚籠に入れました。 待郭公 前大徳大綱 きかはやと 誰もまつらん 郭公 夏立日より 鳴物にして ホトトギスは初夏にインドや中国南部で越冬して初夏になると日本に渡ってくる鳥で...
木津宗詮2023年5月10日読了時間: 1分芳香みかんの花が 咲いている 思い出の道 丘の道 はるかに見える 青い海 お船がとおく かすんでる 黒い煙を はきながら お船はどこへ 行くのでしょう 波に揺られて 島のかげ 汽笛がぼうと 鳴りました 何時か来た丘 母さんと 一緒に眺めた あの島よ 今日もひとりで 見ていると...