木津宗詮2月6日読了時間: 1分2月4日 稽古場の床国学の三大人のひとり契沖の詠草「年内立春」です。花は木曽路と梅と水仙を竹一重切花入に入れました。 年内立春 さきてまついかきの梅に大としの 神のいさめぬ春やこゆらん 契沖 梅は春の花でありながら、まだ正月がきていないというのに神聖な斎垣の内で開花しています。大歳神も梅には新...
木津宗詮2月4日読了時間: 1分豆撒き岡本豊彦の豆撒き図です。 いかにも頼りなさそうな爺さんが豆を撒いています。決してぶつけているように見えません。小さな鬼で禍をもたらす力なんかなさげです。 豆は「ぶつける」のではなく、「撒く」ものとか。鬼はなんでも数えてしまう習性があるので、家の周りに撒かれた豆を見るとその数...
木津宗詮2月2日読了時間: 2分節分江戸時代中期の国学者富士谷御杖(ふじたにみつえ)二首詠草です。 年かな こりてやくれし いのこりに こりに いはかねのゆきの朝こり としの くれによセる 御杖 けり きに 春は 心さたまる 花ミむと よしの丶山に 三よし野の 年の暮れに寄せる 岩か根の雪の朝ごり居残りに...
木津宗詮2月1日読了時間: 3分女の力東本願寺の御影堂と阿弥陀堂を繋ぐ渡廊下に「毛綱」が展観されています。この毛綱は幕末に灰燼に帰した東本願寺を再建するときに用いられたものです。 明治初年、今日世界最大の木造建築物である御影堂を再建するにあたり、巨大な木材の搬出・運搬の引き綱が切れるなどの事故が相次いだそうです...
木津宗詮1月30日読了時間: 2分天顔(てんがん)天顔とは天子の顔、すなわち天皇の顔のことです。竜顔ともいいます。 弘化3年(1846)1月26日に仁孝天皇が崩御され、孝明天皇は2月13日に践祚(せんそ)されました。践祚とは、天皇の位を受け継ぐことで先帝の崩御あるいは譲位によって行われます。古くは「践阼」と書き、「践」とは...
木津宗詮1月29日読了時間: 2分素晴らしい時 楽しみはまだ半ば一昨日、多くの皆さんのおかげでようやく今年の点初を無事に終えることができました。終了後、家に道具を持ち帰り。型付けを最後まで手伝ってくれた社中と祝いの杯をあげて盛り上がりました。本当にありがとうございました。 本当に素晴らしいひとときでした。...
木津宗詮1月29日読了時間: 7分鍛冶對馬安田是誰(ぜすい)の事跡ついては多く伝わっていません。元禄15年(1702)、京都に生まれ、禁裏御用の鍛治師で、武者小路千家6代真伯の門人でした。『京都御役所向大概覺書』の享保元年申改の「諸役御免除之分」の中に、 貳軒役 西堀川通中立売上ル町...
木津宗詮1月27日読了時間: 2分清香梅の原産は中国で、日本には奈良時代に遣唐使が中国から薬用として持ち帰ったものといわれています。日本の風土によく合い、平安時代に広く普及しました。名前の語源は「うみむ(熟実)」の約転とか、中国音「メイ」の転訛。薬用として渡来した燻し梅「烏梅(うばい)」の中国読みの「ウメー」等...
木津宗詮1月26日読了時間: 2分南山寿の如し一指斎10歳の時の筆になる「南山如寿(南山寿の如し)」です。 出典は『詩経』小雅で、臣下が君を祝福する詩「天保(てんぽう)」です。 如月之恒、如日之升、如南山之寿、不騫不崩、如松柏之茂、無不爾或承 月の恒(つね)なるが如く、日の升(のぼ)るが如く、南山の寿の如く、騫(か)け...
木津宗詮1月25日読了時間: 3分初天神1月25日は天神さんの縁日初天神です。 天神さんは平安時代の著名な政治家であり大学者菅原道真のことです。道真は政敵藤原時平の讒言にあい九州太宰府に流されます。そして非業の死を遂げ、雷神となり都に落雷などの災害をおこしその恨みをはらします。当時の人々は道真の祟りと信じ、時の朝...
木津宗詮1月24日読了時間: 1分呉竹聿斎は明治42年(1909)に、大韓帝国といっていた朝鮮釜山の迫間房太郎の東莱別邸の設計で赴きました。その後も2回渡鮮しています。この茶杓は当時京城、現在のソウルで桑の材木をもとめて持ち帰り作られたものです。銘は藤原家隆の「時わかぬおのか枯葉はつもれどもいろもかわらぬ庭のく...
木津宗詮1月21日読了時間: 1分托鉢京都八幡の円福寺僧堂元師家泥龍窟井沢寛州の托鉢連鉢図画賛を掛けました。 一鉢千家の飯(いっぱつせんけのはん) 歩々是道場(ほほこれどうじょう) 修行僧の持鉢(飯茶碗)の中には托鉢で頂いた多くの家の大切なお米が入っています。修行は多くの人たちに支えられて出来ている事を忘れては...
木津宗詮1月20日読了時間: 2分寒今年は1月6日「小寒」、そして二十四節気の24番目である「大寒」が20日です。 小寒から立春までの30日間を寒の内といい、大寒はそのそのまん中にあたり一年で最も寒冷の厳しいころとされています。むかしから寒の内に汲んだ水は雑菌が少なく体にも良く腐らないといわれていました。そこ...
木津宗詮1月19日読了時間: 2分かんてき関西地方では「七輪(七厘)のことを「かんてき」といいます。わずか7厘(1厘は円の1000分の1)ほどの燃料費で煮炊きがたりることからこの名があるといわれています。江戸時代中期の国学者谷川士清 (ことすが) が著わした国語辞典である『倭訓栞(わくんのしおり)』にはすぐ火がおこ...
木津宗詮1月17日読了時間: 1分平瀬露香生誕地天保10年(1839)7月22日、当時22歳で収五郎、のちの千草屋6代目春温と高井れいとの間に篠葉村の別邸(大阪市北区中津・現大淀警察署)で露香は生まれました。 生まれた時が「亥の年・亥の日、亥の刻」であったことから、後年、「三亥子」の雅号を名乗っています。別邸の北側に萩の...
木津宗詮1月17日読了時間: 1分ラッパ昔から豆腐屋は店と流しで商品を売っています。流し売りはラッパを鳴らしながらその音で客に知らせながらリャかーに豆腐や油揚げ、厚揚げ、飛竜子などを売り歩きます。ちなみに関西は手でゴムのところを握って音を出し、関東は口でラッパを鳴らすのだそうです。今はこの関西型ラッパは作られてな...
木津宗詮1月15日読了時間: 2分松の内松の内とは年の暮れに松飾(門松)を立て門口にしめ縄を張ってお迎えした歳神様に滞在していただきもてなしをする期間をいいます。松飾は歳神様が道に迷うことなく家に来るための目印・神籬(ひもろぎ)、家に歳神様の滞在を示す印とも言われています。しめ縄は歳神様が滞在している間外界の穢れ...
木津宗詮1月11日読了時間: 2分機転子日の遊びは、わが国の春の野遊びの習俗を根底とし、丘に登り四方を遠く望んで陰陽の静気を浴びて憂いを除くという中国の習慣とが一つになってはじまった正月行事です。宮中では紫野などの郊外に赴き、若菜を摘みそれをあつものにして食べ、千年の齢をもつ松の若木を根から引き抜いてその長寿に...
木津宗詮1月11日読了時間: 2分あれから7年3代聿斎は明治42年に初めて渡鮮し、その後二度に渡り彼の地に赴いています。大正2年に釜山から東莱温泉の迫間別邸に向かう途上、「春の山朝日をうけて笑ひけり」と吟じています。この軸はその道中の風景を描き、その句を賛として認めています。なお、清に朝貢品で評価の高かった朝鮮紙を用い...