先日来、蔚山大学魯名誉教授との座談会、また教授の主催する研究会のメンバーとの交流で、韓国蔚山に赴きました。それにちなみ、本日の稽古の床に三代聿斎宗泉の朝鮮東莱府に赴いた時、その途次の山並みを描き自賛を認めた軸を掛けました。花は本来は違法ですが、蔚山でもらって持ち帰った椿と銀波錦の若葉を有隣斎の箱書になる李朝の徳利に入れました。
聿斎(花押)
東莱府途にて
春の山
朝日をうけて
笑ひけり
明治42年、聿斎は迫間房太郎東莱別邸の屋敷・庭園の設計建築で朝鮮に赴いています。
同44年中春には迫間邸の工事監督でした。また同45年夏から大正2年冬にかけては、朝鮮銀行副総裁水町正の邸宅や庭園の設計建築等で、都合三度の渡鮮をしています。なお聿斎は屋敷庭園の他にも東莱温泉の設計にも携わっています。
その範囲は、釜山からソウル、現在の北朝鮮開城、鬱陵島に及ぶ地域に足を伸ばしています。なお、1回目の渡鮮は、日韓併合の前年にあたり、10月にハルピンで伊藤博文が暗殺された年で、何かと不穏な時代でした。この画讃は3度目の大正2年の春に書かれたものです。
8年前に200人にわたる支援者のみなさんのおかげで東莱の迫間房太郎別邸の調査をし、『プサン107年の謎 プサン迫間別邸の調査記録』という本を上梓したことがとても懐かしい思い出です。ちなみにこの軸は本ができた次の月にさる方からいただきました。掲載できなかったことがとても残念なことでした。
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