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執筆者の写真木津宗詮

7月20 稽古場の床

今夜の稽古は、南宗寺田島碩應(せきおう)老師の筆になる「風鈴頌」です。先日、道明寺さんでいただいた葡萄籠に白木槿と水引草を入れました。

渾身似口掛虚空、不問

東西南北風、一等為他

談般若、滴丁東了滴

丁東  (印)

渾身(うんしん)口に似て虚空に掛り、東西南北の風を問わず、一等他と般若を談ず、滴丁東了滴丁東(ていちんとうりょうていちんとう)

風鈴というものは、体全体が口のような恰好をして空間にぶら下がっている。東・西・南・北のどこから風が吹いてきても常に音を出す。どんな風でも常に他の人のために般若(正しい智慧)を語っている。その般若とは風に吹かれて「ていちんとうりょうていちんとう」と鳴るのである。

道元の師匠である如浄の語「風鈴頌」です。風に吹かれて揺れる風鈴の姿、そしてそこから生じる「チリンチリン…」という音を、「悟り」の境地に喩えて読んだものです。

唐の香巌智閑(きょうげんちかん)は掃除中に竹に小石が当たる音を聞いて悟り、大徳寺の一休は闇夜に烏の鳴き声を聞いて、白隠は暁の鐘の音を聞いて悟りを開いたと伝えられています。長年にわたり真摯に修行を積み、時機到来した機縁が小石が当たる音・烏の鳴き声・鐘の音だったのです。その真実の声を聞いた時に真実の姿"真理)を悟るのだそうです。この風鈴頌の「滴丁東了滴丁東」も真実の音・真理なのです。

軒の風鈴がチリンチリンと真理を語ってくれています。残念なことに凡夫のわたしには、ただただチリンチリンとしか聞えません。


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