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執筆者の写真木津宗詮

8月21日の床

室町時代の京都吉田神社の祠官吉田兼致 (よしだ・かねむね )の詩懐紙です。兼致は、公家でもあり、侍従、神祇権大副(じんぎのごんのごんたいふ)、左兵衛佐(さひようえのすけ)にいたります。また父吉田兼倶唱えた唯一神道を継承者でもありました。

七夕同賦星河欲 

   曙天詩以秋為韻

   蔵人神祇大幅左兵衛卜部兼致

乞巧樓前曙色幽双星

漸可督離愁班々滴

盡西風涙流作銀河

無限秋

乞巧楼前曙色(しょしょく)幽(かすか)なり

双星漸(ようやく)離愁を督すべし

班々たる滴(しずく)西風の涙を尽くす

流は銀河をなす無限の秋

七夕の星祭をしている楼も夜明けが近づいてきた。夜明けが牽牛と織女の悲しい別れを促している。ふたりの涙が入り交じって悲しみ愛おしさが極まる。そしてその涙が銀河となり、ふたりの想いが天に限りなく広がる秋である。

花は白の木槿と水引草を早川尚古斎の唐物写しの舟籠花入に入れ、下に鎖を敷いて「泊舟」としました。日本では、七夕の夜、牽牛が舟で天の川を渡って織女に会うされていて、その故事に因みました。なお、中国では鵲が羽を広げて天の川に橋を架け織女が牽牛に会いに行きます。

漢詩も和歌懐紙同様に懐紙に認める書式があります。それを「詩懐紙」といいます。詩懐紙は和歌懐紙と大差ありませんが、端作りに韻の指定があります。この懐紙は「秋」の韻で詩を賦すと条件が付けられています。「幽」と「愁」、それに「秋」が押韻しています。あとは絶句は「三行三字」、律詩は「六行五字」です。なお、これも和歌懐紙も同様ですが、署名の位階が長くなることを嫌い位階と二字姓を合字にします。

多分、中国には懐紙のような書式はないのだと思います。漢詩も和歌同様の形式にしたことに、単に中国の文化をダイレクトに受け入れるのでなく、自家薬籠中のものにした先人の偉大さを改めて実感します。


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