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執筆者の写真木津宗詮

三の間

 宇治川は京都府宇治市を流れる川です。その宇治川にかかる宇治橋は、孝徳天皇の大化2年(646)に元興寺(がんこうじ)の道昭(どうしょう)が最初に掛けたとされています。「瀬田の唐橋」と「山崎橋」と共に、日本三古橋の一つに数えられます。『都名所図絵』に、


  三間の水 山城の名水なり。瀬田の橋下、竜宮より湧き出づる水、このところへ流れ来

  るなりと、また一説には、竹生嶋弁才天の杜壇の下より流れ出づるといふ。秀吉公伏見

  御在城のとき、つねに汲ましめたまふ、通円が茶屋 橋のひかし爪にあり。いにしへよ

  りゆききの人に茶を調てて、茶茗を商ふ、茶店に通円が像あり。むかしより宇治橋掛け

  替へのときは、この家も公務の沙汰とし造りかへあるとなり。



『都名所図絵』宇治橋

「三の間(さんのま)」とは、宇治橋の西詰より三つ目の欄干のところ幅一間ほどにわたり橋板を張出した部分のことで、当初は橋の守護神の橋姫の社殿が設けられていました。この下を流れる水は「竜宮より湧き出づる水」とか「竹生嶋弁才天の杜壇の下より流れ出づる」とかいわれ、古来、名水とされていました。豊臣秀吉は茶事をするにあたり、通円に命じて、五更の時刻(日の出までのおよそ2時間あまりの間)汲み上げさせ伏見城に運ばさせたといわれています。その時に用いたとされる釣瓶は秀吉が利休に命じて特別に作らせたとされ、橋のたもとの茶店通円に伝えられています。「通円の像」は一休の作とされ、茶筅と茶碗を持った木像です。宇治橋の架け替えの時は、幕府により通円の家も建て替えられていたということです。



以上、宇治橋三の間



「三の間」から望む宇治川

   うち川の水をよむといふことを

  河はしを曳しハとほきむかしにて   

  さわかぬミつをくむよなりけり      有功(花押)


 千種有功の詠草「宇治川の水」です。有功は通円が秀吉に命じられて三の間から水を汲んだのは遠い昔のことで、今は泰平の御世で波も静かな宇治川の水を汲んでいるという心を詠んでいます。

 毎年10月第1日曜日に「宇治茶まつり」で、三の間から棕櫚縄につるした釣瓶で今も名水が汲み上げられています。


豊臣秀吉が通円に命じて、五更の時刻(日の出までのおよそ2時間あまりの間)に宇治橋の「三の間」から宇治川の水を汲み上げさせたとされる釣瓶

一休作とされる通園像





以上、茶店「通円」




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