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執筆者の写真木津宗詮

 柳は縄文時代から石斧(せきふ)の柄(え)や漁労用具として用いられてきました。『万葉集』に、


  青柳の枝伐り下ろし齊種(ゆたね)蒔き    ゆゆしき君に恋ひわたるかも


と歌われています。「青柳の枝を切り取って田に差して神聖な種を蒔くように、畏れ多い身分のあなた様に恋してしまったようだ」。斎種とは、豊穣を祈って斎(い)み清めた種籾のことです。昔から田の水口に柳をさす風習があり、田の神を勧請するためとか、柳は挿木でよく根づくことから稲の根を張るようにとの類感呪術とみられています。ちなみに柳は「箸を立てても芽が出る」といわれるほど生命力の強い植物です。また『同集』には、


  青柳の上(ほ)つ枝(え)よぢとりかずらくは   君が屋戸(やど)にし千年(ちとせ)寿(ほ)くとぞ


とあり、「葉をつけた柳の柔らかな枝を手折って蔓にするのは、あなたの家で千年の栄えを祝うためである」という意味で、春に柳が真先に芽吹くことから生命力復活のシンボルとされてきました。昔の人は柳で鬘(かずら)を作って挿頭(かざ)すことで、さまざまな願い事が成就できると信じていたのです。  こうした風習は中国の影響によるものだそうです。昔の中国では正月の朝、柳の枝を戸口に挿して百鬼が家に入るのを防ぐ習俗があったそうです。また「柳」は「竜」に音が通じるものとして科挙に合格する登竜門にあやかろうと、橋のたもとにある柳の枝を一枝折って子に与え、竜(柳)になれと子を励ました故事や、その生命力の強さなどによるそうです。 唐代の張喬の漢詩に、


   寄維揚故人   離別河辺綰柳條 千山万水玉人遥   月明記得相尋処 城鎖東風十五橋

   維揚(いよう)の故人(こじん)に寄(よ)す   離別(りべつ)河辺(かへん)に 柳條(りゅうじょう)を綰(わが)ぬ。   千山万水玉人(ぎょくじん)遥(はる)かなり。   月明らかにして 記得(きとく)す相(あい)尋ぬる処(ところ)。   城は東風を鎖(とざ)す十五橋(じゅうごきょう)。


維揚は中江蘇省揚州市のことで、「川辺で旅立つ旧友と別れを惜しんだ時に柳の枝を輪に結んで無事の帰還を祈った。多くの山や川を越えて友は遥か彼方に旅立って行く。月明かりはお互いに尋ねるところを覚えている。たくさんの橋のある揚州城内には春風が充ち満ちている」という意味です。昔の中国では旅人を見送るときに送る者と送られる者が互いに柳の枝を持って輪に結び合わせて別れる風習がありました。柳の枝はしなやかで簡単に輪にすることができます。生命力の強い柳は自らその輪を解いて元の姿に戻ります。旅立つ人が柳にあやかり道中無事で再び戻ってこれるようにとの思いを込めた習慣です。そして輪を表す文字である「環」が「帰還」の「還」と同音であるため、輪(環)に結ぶことで無事に帰還するという心を表すということだそうです。また「柳」の音が「留」と同音であることもあります。


 茶の湯では新年を寿ぐ初釜の花として綰柳(わんりゅう)を入れます。流儀により「結柳(むすびやなぎ)」ともいいます。「綰」とは細長いものを環状にすることを意味しています。正月は一年の旅の始まりです。また来年も再びこの席でお目にかかりましょうという心です。また柳の枝の様に、一年をしなやかに過ごし無事を祈るとか柳の芽吹きに生命の再生・誕生の意を込めるなどの意味があります。

 なお、柳の結び方は流儀により様々です。武者小路千家はすべての枝をまとめて大きな輪を一つ作って垂らします。表千家も同様です。裏千家は枝一つで輪を作りその輪の中にすべての枝を垂らします。古くは武者小路千家も裏千家同様でした。この結び方はすべての枝を輪にしないので枝が長く垂れて華やかなものになります。わたしの家では昔ながらの結び方をしています。



 新しい年を迎え千代を寿ぎ、柳にあやかり社中の健康と家内の安全、茶の湯向上。多くのご縁のある方々が光り輝くよき年となることを祈念して今年も柳を入れています。

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