今年も春の訪れを告げる東大寺二月堂の修二会(お水取り)も無事に円成しました。先日、縁があり初代宗詮門下で奈良奉行所与力の橋本喜久右衛門正方の修二会の松明の竹で作られた輪無二重切花入「自来」を手に入れました。その箱書は、
二月堂松明の竹を寄付せんと思ふ遠近の人々、おのか門に出し置くまゝ、たれ/もてゆくとも道をゆく人はこひつきて、おのつから二月堂にあつまり/きたることならひとそなりぬ、ことし法会終りて其もらひし竹を/請ひ花器を作り、茶道の宗匠千の宗守後見卜深庵宗詮に/しめす、宗詮やかてこれに銘して自来という
天保九のとしさつき末つかた
はしもと政方しるす(花押)
修二会の松明の竹は東大寺近辺の南山城などの信徒により松明用の竹が寄進されました。それを家の前に立てておいたものを道ゆく旅人や在所の人たちが自発的に運んだそうです。隣の集落などまで運ぶと、また次の人が運ぶ、場合によっては船にのせて木津川を運ばれることもありました。名もない人々の信心からの善業によるまさにバケツリレーです。橋本喜久右衛門は修二会が終わったあとその竹を譲り受けて花入にしました。そして松斎が「自来」と銘をつけた旨が認められています。
東大寺別当の橋村さんによると、二月堂に篭って行を勤める練行衆の世話係の童子が担ぐ松明は、本来、足元を照らす道明かりなので短いもので、もともとは2、3メートルほどだったそうです。江戸時代になり参詣者がたくさんになり、松明を担ぐ童子の見せ場としてだんだん松明が大きくなり、竹も長くなり芸能化していき今日に至っています。12日の篭松明は、長さ6メートルほどの根付きの竹の先端に、杉の葉やヘギ・杉の薄板で籠目状に仕上げ、直径1メートルほどの大きさのものが用いられています。欄干から出来るだけ離さないと童子の顔が焼けてしまいます。そこで竹を長くし、後ろを重くするために根付きの竹が用いられているそうです。長くなることにより、より前に多く出すことができるのです。ただし舞台の上でUターンしなければならないのでこれ以上長くなると後ろが、柱に当たって回れなくなるので今のサイズで定着したとのことです。なお、松明をあまり大きく作ってはいけないと諌めた古記録が残されているそうです。松明は毎朝食堂の南側で童子の手により、根付きの竹の先端に、杉の葉や杉のヘギ(薄板)で籠目状に仕上げ、直径1メートルほどの大きさに仕上げられます。火の粉を浴びれば無病息災ということで多くの参拝者が二月堂の下に参集し、落ちた杉の葉は競うように拾っていく光景が見られます。
人から人の手を経て、あたかも竹に足が生えたが如くに二月堂に自然と集まったとういうことから、松斎は「自来(自ずから来る」と銘をつけたのだと思われます。
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