冷泉為泰の鯉詠草です。
岩かねを (花押)
落くる
田
た
喜八
きは
百年もたえす
のほれる
鯉や嬉し
き
岩が根を落ちくる滝は百年(ももとせ)も
絶えず登れる鯉や嬉しき
「鯉の滝登り」は『後漢書』に黄河の急流にある「竜門」という滝を多くの魚が登ろうと試みたが、鯉のみが登りきり竜へに変身し、天に昇っていったという故事にもとずき立身出世の象徴となりました。
端午の節句には厄払いに菖蒲を用います。武家では「菖蒲」と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となりました。 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物を飾り、家長が子供達に訓示を垂れたとのことです。経済力のある商人は、豪華な武具の模造品を作り、五色の吹流しをかざるようになりました。さらに吹流しに鯉の絵を描くようになりました。そして 現在の魚型のこいのぼりは、さらにそこから派生したものだそうです。なお、これは主に関東地方の風習で当時の関西(上方)には無い風習でした。ちなみに、江戸時代は和紙に鯉の絵を描いたもので、大正時代に破れない綿の鯉のぼりとなり、昭和30年代に入ってから合成繊維の鯉のぼりが一般的なものとなりました。
さて、冷泉為泰のこの歌は「鯉の滝登り」の故事をふまえたもので、みごとな岩盤から落ちてくる滝を百年絶えず登る鯉はうれしいものであると歌っています。この詠草の「岩・田・喜、八」の文字には、「岩田喜八」なる人物の姓名を読み込まれています。だから特に文字を大きく強調して書かれているのです。たぶん、岩田喜八の親からの依頼で書かれたものだったのでしょう。みごとな詠草です。
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