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執筆者の写真木津宗詮

三猿堂

伊木三猿斎は幕末から明治維新の困難な時期に藩政の指揮を執った岡山藩筆頭家老で、裏千家玄々斎に茶の湯を師事しました。大徳寺山門金毛閣に安置される利休居士立像は、三猿斎没後に大徳寺に寄贈されたものです。なお、三猿斎は、釉薬掛けにも独特な味をもった京風な作品を虫明焼に求を始め、岡山名物吉備団子の発案者でもあります。

伊木家の菩提寺少林寺の茶室「三猿堂」は木津家3代聿斎宗泉の好みになる茶室です。当時、聿斎と格別親交の厚かった岡山の表千家流の数寄者山崎定太郎の依頼で聿斎が設計しました。二畳台目で台形の床の斜めの壁面に火灯口が空けられ、その中に三猿斎の像が祀られています。

なお、聿斎が貞明皇后の茶室「秋泉亭」の設計のご下命を受けた時、そのご内命が漏洩することを恐れて山崎定太郎邸の茶室「余楽庵」に篭居して設計しました。この山崎邸の余楽庵も聿斎の好みで、他に星島儀兵衛邸の茶室等もありました。聿斎にとり岡山は格別な土地なのです。

岡山では過日の豪雨で多くの被害が出たこともあり、三猿の横が山の斜面で、昨年、伺った時に少し崩れていたことから心配して訪れました。幸い三猿堂も少林寺も無事でした。安堵しました。


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