井田制とは中国古代王朝の周で施行され、周公旦が整備したとされる土地制度のことです。孟子はこれを理想的な制度であるとしています。孟子によると、1里四方、900畝の田を「井」の字の形に9等分します。そうしてできる9区画のうち、中心の1区画を「公田」、その周りにできる8区画を「私田」。私田はそれぞれ8家族に与えられ、公田は共有地として8家族が共同耕作し、そこから得た収穫を租税としました。実際は伝説上の制度とされています。
岡山藩主の池田光政・綱政親子は、重臣の津田永忠に命じて干拓地に友延新田(現・備前市)を造成する際に、儒教の理想的仁政を実現すべく井田制を適用しました。後楽園にもこれを模した100分の1規模の井田が設けられています。当初は井田制として機能しましたが、藩の財政危機や飢饉に見舞われて他の農地と同等の租税率に引き上げたためにごく短い期間しか機能しなかったそうです。
なお、奈良時代に行われた条里制もこれを参考にしたものとのことです。
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