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執筆者の写真木津宗詮

女の力

東本願寺の御影堂と阿弥陀堂を繋ぐ渡廊下に「毛綱」が展観されています。この毛綱は幕末に灰燼に帰した東本願寺を再建するときに用いられたものです。

明治初年、今日世界最大の木造建築物である御影堂を再建するにあたり、巨大な木材の搬出・運搬の引き綱が切れるなどの事故が相次いだそうです。そこで、女性の髪の毛と麻を撚り合わせて編まれた毛綱が全国各地から53本寄進されました。最も大きいものは長さ110m、太さ40cm、重さ約1tにも及ぶそうです。なお、現在、展示されている毛綱は、新潟県の門徒から寄進されたもので、長さ69m、太さ約30cm、重さ約375kgだそうです。

ちなみに、人間の毛髪は引っ張る力に対する抵抗力が強く、一本の毛で約150gの力に耐えられ、10本で1.5kg、100本で15kgのものを持ち上げることができるそうです。毛綱は髪綱ともいい船の錨やもやいに使われることもあったとのことです。

実際、長い髪は女性でなければ入手できなかったと思いますが、女性の髪に不思議な霊力が宿っているとの思いがあったのではないかと思います。黒髪は女の命というぐらい、女性にとっては何にも代え難いものでした。以前、何かの本でよんだのですが、江戸時代の博打打が強運を手に入れる護符に妻や恋人の髪や陰毛を守り袋に入れていたとありました。また、船の守神である船霊の依代として用いられるそうです。戦時中、出征兵が母親や姉妹の髪を身につけたとのことです。女性は命をかけた出産という男性には理解の及ばない大仕事をなします。また、適切な表現ではないかと思いますが、毎月、生理という流産を体験します。個人差はあるかと思いますが、男性とは異なり苦痛や発熱に強いようです。昔の人は女性の髪に偉大な力が宿ると信じていたのではないかと考えています。まさにこの綱は霊妙な女性の力が宿っているです。

写真の軸は、皇族最後の尼門跡伏見宮文秀尼の懐紙「松に寄る祝いの心」です。

 

 松によせて

   いはひの

      心を

いつもとの松の

  みとりにともなひ

         て

 なほいく千代も

   さかゆこの

        庵

伏見宮文秀尼は伏見宮邦家親王第七王女で、孝明天皇の養女となり大和円照寺6世門跡となりました。明治天皇から皇族出身の門跡に還俗せよとの内命が下った時、実家に連れ戻されたものの、戒律を遵守し仏弟子として振る舞ったため、父邦家親王が不憫に思い円照寺へ戻ることを許しました。その後、円照寺の門跡として生涯を全うしました。伏見宮文秀尼は和歌や有栖川流の書に特に秀でました。姉の誓円尼(善光寺大本願117世)と日栄尼(村雲瑞龍寺10世)も敢然と還俗を拒否し寺に残りました。

わが国で最初に出家したのは善信尼ら三人の尼僧でした。神仏分離・排仏毀釈の時代に、男性皇族ははみな還俗しましたが、生涯信念を守り通したのが3人の女性皇族でした。ここにも男性の及ばない女性の力強さをみることができます。


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