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執筆者の写真木津宗詮

年の暮

昔の年の瀬こんな風景だったのですね!

餅つきも大掃除も大人も子どもま家族総出でやってました。そしておせちはその家の主婦が棒タラを水で戻したり、黒豆を炊いたり、ごまめを作ったり、数日前から取り掛かっていました。

そうした光景も今となっては懐かしいものとなりました。核家族化で小さな単位になりお節も昔のように作らない家庭が増えました。また、おせちを食べても料理屋やコンビニで買って自家製が少なくなっていると思います。作る家が少なくなったのがよくわかるものに、古い重箱やお碗がとても安い値段で売買されています。何より、元旦から外食が可能で、それも美味しいものを食べることができるようになりました。

子どもは勉強や塾や部活で大晦日まで忙しくしています。だからそちらが優先されて一家総出の大掃除なんかできなくなってます。せいぜい自分の部屋の掃除と空いている時間に手伝ってもらう程度です。

餅つきも年末のイベントとしてやっていても、家で餅をつくことはほとんどないでしょう。餅も真空パックのものがスーパーで売られています。子どもの頃は餅は正月とか特別な時でないと食べることができなかったので、ある意味ご馳走でした。それもいろんな料理やお菓子が簡単に口にできるようになったのと、餅きま年中食べることが可能になったのでありがたみもなくなりました。だから特別に餅つきしてたくさんつかなくてもいいようになりました。スーパーなどで袋入わ買う家が増えているとおもいます。私は餅が好きなのでなにか残念な気分です。

ちなみに三が日の朝食は餅を入れた雑煮、数の子、黒豆、ごまめがついた御膳を食べて家族で祝うことだけは守っています。

ノスタルジックに浸るつもりもありません!今の風潮を嘆く気もありません!これが現実です!今書いたこともそんな古くから一般に行われていたものではありません。これらが行われる前には、また、別の光景が見られたでしょう。そして内容も違ったものであったに違いありません。それが無くなり私が書いたようなものとなったのです。常に伝統は形を変えて継承されるものもありますが、否定と破壊の積み重ねでもあります。ただし今日のように短時間で変化したのではないです。時間をかけてゆっくりゆっくりと変化してきたのは間違いのないことだと思います。猫の目の変わるような、いや猫の目もついていけないような変化の時代です。これからどうなるのか?ついていけるのか?はなはだ疑問に思う今日この頃です。


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