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執筆者の写真木津宗詮

空ごと

山本行範(やまもといくのり・こうはん)と素琴女史画七夕図 の画賛です。 素琴女史についてはどの様な人物か不明です。


ほしあひのそらことなからを

とめ子の

みやひこゝろのみゑてなつかし

           行範

素琴女史(印)

一年に一度だけでの星逢いは本当ではない作り話だけれども、それを真実であると信じている乙女の雅な心を見るにつけ、自分も本当のことだと信じていた遠いむかしのことを懐かしく思う。

といった意味です。なんともゆかしいすばらしい和歌です。

今回は山本行範について紹介します。

山本行範は、明治6年(1873)に宮中の御典医山本晋の子として京都に生まれます。紫竹・杉園と号しました。幼いころに賀茂に里子に出されました。小学校などの公教育を一切受けず、代々が蒐集した和漢の典籍を独学で学び、また大徳寺の牧宗和尚に師事しました。京都女子専門学校書道教授・京京都在住の旧堂上家の和歌の会である向陽会師範を務めました。京都帝国大学教授で文学博士の吉澤義則、下御霊神社の宮司で有職故実の第一人者であった出雲路敬通とともに「昭和の平安三筆」と称されました。表千家家元惺斎、武者小路千家愈好斎室恒子のまたいとこにあたり、惺斎の長男不言斎と即中斎の家庭教師や、聿斎の和歌の師匠でもありました。能楽・謡曲・茶道・和歌・漢詩等、多方面に秀で、。昭和16年(1941)、69才で没しています。

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