歌舞伎の「勧進帳」は、壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経が、兄頼朝から謀反人として追われる身となりました。そこで山伏姿に身をやつした弁慶たち数人の家来とともに、その荷物持ちの強力に変装して、奥州の藤原秀衡のもとをたよって陸奥国(東北地方)へと落ちのびていきます。加賀国(石川県)安宅の関にさしかかった時、富樫左衛門に弁慶は自分たちは東大寺再建の寄進を募っている山伏であると名乗ります。富樫はそれならば寄付の趣旨を書いた勧進帳を持っているはずだ、と迫ります。弁慶は、とっさに荷物入れの笈の中から適当な巻物を取り出して、即興でそれらしいせりふを読み上げ、さらに本物の山伏であるかを確かめる質問をなげかけられた弁慶はそれらにみごと答えていきます。
富樫は寄進をし通行を許そうとしますが、強力が義経らしいと気づき呼び止めます。弁慶は他の家来が腕ずくで切り抜けようとするのをおさえ、わずかな荷物でよろよろするからやさ男の義経に間違われるのだ、と強力の義経をさんざんに打擲します。その様子を見た富樫は、そうまでして義経を助けようとする弁慶の苦渋の思いを察し、義経一行と知りつつも彼らの通行を許します。
関を抜けて休息をとった一行は、弁慶の機転をほめ讃えますが、弁慶は主君をたたいたことを心から詫び、義経の現在の境遇を嘆きます。そこへ再び富樫が現れ、一行に酒をふるまい、弁慶はこころよくその盃を受けて延年の舞を舞い、先に一行を出発させておいてから、自分もとぶようにあとを追うというお話しです。
「其徳広大無量」は勧進帳の台詞の一節です。
その徳広大無量なり、肝に彫(え)り付け、人にな語りそ、あなかしこあなかしこ、大日本の神祇、諸仏菩薩も照覧あれ、百拝稽首(ひゃっぱいけいしゅ)畏(かしこ)み畏み 謹んで申すと云々、かくのとおおぉり。
9代目市川団十郎の長女2代翠扇の勧進帳の画賛です。弁慶が勧進帳を読む姿を描き、その台詞の「其徳廣大無量」を賛として認めています。
なお、翠扇は明治21年初舞台を踏み、団十郎没後、団十郎家の舞踊市川流をつぎ、40年2代翠扇を襲名しています。夫は5代市川三升(没後10代目市川団十郎)。妹富貴子(市川旭梅)と共に明治座・歌舞伎座などの舞台に立ち日本初の女優の一人となり、昭和19年に64歳で亡くなっています
東西の俳優をそろえる東西合同大歌舞伎である南座の吉例顔見興行は暮れの京都の風物詩の一つです。
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