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執筆者の写真木津宗詮

愛宕さん

愛宕さん、正しくは愛宕神社。京都市右京区の愛宕山に鎮座する全国に約900社ある愛宕神社の総本社です。火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれた愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所に貼られています。

奈良時代、修験道の祖役小角と白山の開祖泰澄によって朝日峰に神廟が建立されたのが創建とされています。のち和気清麻呂によって中興され愛宕大権現を祀る白雲寺が建立されました。中国の五台山に模した5ヶ寺が造られました。本殿には愛宕大権現の本地仏である勝軍地蔵。奥の院(現若宮)に愛宕山の天狗の太郎坊が祀られていました。明治の神仏分離により、白雲寺は廃絶されて愛宕神社になり、勝軍地蔵は西京区大原野の金蔵寺に移されました。

なお、明智光秀は戦勝祈願のために愛宕神社に参蘢し、本能寺の織田信長を攻めるかどうかを占うため籤を3回引いたそうです。翌日、同神社での連歌会(愛宕百韻)の冒頭に、

時は今 あめが下しる 五月哉

と詠み、光秀の決意を秘めたものとされています。

ちなみに、今日の登山参拝を社中4名と行いました。先日来お地蔵さんを調べている一連のものです。

天明元年に書かれた木室卯雲の「見た京物語」に、

町々の木戸際ごとに石地蔵を安置す。これ愛宕の本地にて火ぶせなるべし

とあり、江戸時代のお地蔵さんは火伏せの神愛宕権現との関係で、京都の町々に祀られていたようです。


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