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執筆者の写真木津宗詮

生き証人

唯一の生き証人!

金網の中に烏帽子をかぶり御幣を持って横向きに座った猿がいます。京都御所の北東(丑寅=艮・うしとら)角の築地塀の角を欠いての凹んだ部分です。ここは御所の鬼門にあたります。古来、鬼門は鬼の出入り口とされ不吉な方角とされてきました。御所の北東には比叡山延暦寺があり平安京の鬼門封じといわれています。延暦寺と天台宗の護法神されている日吉山王社の神のお使いが猿ということで祀っているのです。この猿が夜な夜なぬけだしては通行人にいたずらするため、金網で封じ込めたと伝えられています。まさに、災いが「サル」です。

幕末に尊皇攘夷派の公家の姉小路公知が何者かに暗殺されたのがこの辺りで、「猿が辻の変」と呼ばれています。ちなみに初代木津宗詮の門人であり、跡見女学校の創始者である跡見花蹊の父重敬は姉小路公知に仕えていました。

「猿が辻の変」の時、この猿は御幣を持ってこの場に息を潜めていじっと見ていた唯一の生き証人です。


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