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執筆者の写真木津宗詮

甲申八朔

本日の床も大綱和尚の白紙賛。武者小路千家7代直斎の竹舟花入「渚」に木槿と矢筈薄を入れました。

謝君月旦幾尋盟、詩賦唱酬世外情、

淡飯麁茶交愈切、披襟最喜晩涼

甲申八朔小集奉汚潜菴尊者玉韻宗彦拝

君に謝す月旦幾たびか盟を尋ね、詩賦を唱し世外の情に酬い、淡飯麁茶の交わり愈切なり、襟を披き最も晩涼の生を喜ぶ

甲申八朔小集、潜菴尊者玉韻を汚し奉る 宗彦拝

文政7年(1824)8月1日、潜菴尊者の毎月朔日に催す月次の詩賦の会に大綱和尚が参加した時に、尊者の詩と同じ韻字を用いて作られた漢詩です。この時、大綱和尚52歳でした。当時の人は「人生五十年」といわれるように、まさに人生の終わりを実感する年頃であったと思われます。月次の詩賦の会に参加して何度も志を高める誓いすることができることを和尚はとても感謝しています。浮世離れした脱俗の集まりで、そこでは粗末な飯や茶が出される枯淡な交わりの空間であったことから、和尚の思いはますます感極まるものがあったようです。和尚は心の中をすべて包み隠す必要がないこの月次の会で、五十路を過ぎた心穏やかな晩節の心をこの上もなく喜んでいました。

この軸は、大綱和尚の何にも染まらない心穏やかな真っ白な境地を讃えているのです。ただし、和尚はその後、37年生き、当時としては稀な長寿を全うしています。


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