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執筆者の写真木津宗詮

バレンタインデー

江戸時代中期の公家で関白、太政大臣等を歴任した近衛内前(うちさき)の短冊「寄関恋(せきのこいによせる)」です。


寄関恋

月日のみつれなくみえてうき中に

なをもへたつる逢坂のせき 内前



この短冊は組題といって五十首・百首・千首の歌を詠むとき、五十題・百題・千題の題を集めてひと組とし、あらかじめ与えられた題によって詠む和歌のことです。題は和歌に造詣の深い題者が題を選定します。この組題の題者は冷泉為泰(ためやす)です。

月日のみがつれなく過ぎ去り、物憂い気持ちでいるというのに、まだその上に愛しい人にこの想いを伝えるのを阻む逢阪の関であることだ。という忍ぶ恋心を詠んでいます。忍ぶ恋とは恋する相手にその心を見せることがはずかし、決して見られてはいけないそうした悶々とした恋心のことをいいます。こどもの時分、好きな女の子のスカートをめくったりわざと嫌なことをしたのはまさにこの「忍ぶ恋」であったのではないかと思います。

今日はバレンタインデーです。元来、バレンタインデーはローマ皇帝の迫害下で殉教したと伝わるてんかんの聖人ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)を悼み祈りを捧げる日「聖バレンタインデー」でした。ウァレンティヌスおよびバレンタインデーは恋人達のロマンスとはまったく無関係でしたが、15世紀頃より男女の恋愛の聖人と記念日へと変貌しました。のちに日本では独自の発展を遂げています。欧米では恋人やお世話になった人にチョコレートを贈ることもありますが、決してチョコレートに限定されているわけではなく、またバレンタインデーに限ったことでもありません。女性から男性へ贈るのがほとんどという点と、贈る物の多くがチョコレートに限定されているという点は、日本のバレンタインデーの大きな特徴です。なお、神戸モロゾフ製菓(現モロゾフ)が、東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を掲載しました。これが最も古い「バレンタインデーにはチョコを」の広告だそうです。

今の若者は、相手のことを好きだと告白するのに、メールや簡単に口頭でいうそうです。忍ぶ恋は遠いむかしのものとなってしまいました。

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