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執筆者の写真木津宗詮

明恵上人

大徳寺の大綱筆「栂尾明恵上人」です。


栂尾明恵上人 大綱敬書(印)

明恵は鎌倉時代の華厳宗僧で、華厳宗興隆の志を起し,東大寺や神護寺などで修行し、栂尾(とがのお)に高山寺を開き、華厳の中興といわる名僧です。

明恵上人は建仁寺の栄西禅師が宋(中国)から持ち帰った茶の実を譲られ、高山寺の山内、清滝川の対岸、深瀬(ふかいぜ)三本木で植え育てました。栂尾の地は地味がよく優れた茶を産したということです。その場所には現在「日本最古之茶園」碑が建てられています。宇治茶は明恵上人が茶の普及のために栂尾に移植したことに始まります。これが「栂尾茶園」です。茶は修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたといわれています。中世、この茶園の茶を、特に「本茶」といい、それ以外を「非茶」と呼ばれました。なお、宇治茶は足利義満が栽培を奨励し、室町幕府の御用茶園「宇治七名園」を開かせた頃には、栂尾にかわって宇治が茶の本場となり今日に至っています。

明恵上人は栄西禅師とならぶ茶の最大の功労者です。

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