沢庵宗彭の「今井宗薫宛書状」です。
昨日者御事繁
之内過分至極候
近日□可罷帰候間
其時分以面上
可申入候、猶使僧
可申候也 恐惶謹言
南宗寺
宗彭(花押)
正月廿九日
宗薫老
昨日は御事繁の内、過分至極に候、近日□罷り帰り候間、其の時分面上をもって申し入るべく候、猶使僧申すべく候也、恐惶謹言
南宗寺は大坂夏の陣で焼失しましたが、沢庵により再興されます。この書状は沢庵が南宗寺の住職だった時に書かれたものです。沢庵が不在中に今井宗薫が開山忌の香資料をたくさん供えたことに対する礼状で、近日中に寺に戻るので、その時に直接会って礼を述べるが、とりあえず使いの僧にこの手紙を託し感謝の意を表する旨が書かれています。なお、南宗寺の開山大林宗套は永禄11年(1568)1月27 日に遷化しています。
この時、沢庵は堺を離れた地にいたと思われれます。寺の者は宗薫が香資料を納めてすぐに沢庵にその旨を知らせ、沢庵も早速にこの礼状を認めたようです。電話もメールも何も無かった時代です。みごとです!
お礼はぐ相手にすぐに伝えないと相手はこちらがありがたいと感じていないと思われます。時間が経てば経つほどその思いは増していきます。また、おわびも同じです。借りたお金と同様で要らぬ利子がつきます。わたしは常々「ありがとうとごめんと借りたものは早いにこしたことはない」と思っています。
Comments