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執筆者の写真木津宗詮

あれから10年

あれから10年の歳月が経ちました。父露真が70歳の古稀を迎え隠居するということで、私が7代宗詮を襲名しました。昔の70歳と今の70歳は大違いでまだまだ元気で気力もそんな衰えているということもなく、まだまだこれから茶人としての活躍が期待される状況でした。それにもかかわらず隠居したのは、私が他家から木津家に入ったということもあり、目の黒いうちに継承するとの思いでの代替わりでした。

思い起こせば、今を去る10年前の11月3日、大阪高麗橋の吉兆で7代宗詮と2代露真の襲名披露茶会を行いました。吉兆さんの建物の前の持ち主小島氏が3代聿斎の門人でした。そして聿斎宗泉が設計をし、好みの茶室もある建物でした。木津家ゆかりということで、父露真も私も吉兆さんのお世話になりました。また、初代松斎宗詮以来の谷松屋戸田氏のお力添えもいただきました。家元ご夫妻はじめ若宗匠、大徳寺の和尚方、他流の宗匠方はじめ400人あまりの皆さまをお迎えしてお祝いしていただきました。今となっては故人となられた方々も多数いらっしゃいます。なお、吉兆さんの建物も今は新たなものになり往時を偲ぶことができません。今から思うと本当に夢のような大茶会でした。

今日に至るまでの10年間自分なりにガムシャラに頑張ったと思います。ところが数年にわたるコロナ禍、また高齢化や少子化、戦争、物価の高騰などもあり困難な時代を迎えました。そして世の中の変遷や価値観が、かつて経験をしたことのない未曾有の時代に突入したのが現状だと思います。これから先はすべて伝統文化に携わる者にとりイバラの道を歩むことになります。淘汰されるか進化するかの二つです。ただし何百年も伝えられてきた伝統文化にもかつて想像を絶する困難な時代がありました。それを乗り越えて今日に至っていることを思うと、やはり必要なものだからこそ残ったのです。だから私たちの茶道も必ず残るべきものは残るはずです。だからこそ今まで以上に真摯な態度で臨み、勉強して行かなければならないと思っています。

それにしてもこの10年、なすべきことを十分になしえたのか?それに値する結果を生んだのか?祖先に恥じることのない仕事をしたのか?それを思うと恥入るばかりです。

今日まで来ることができたのも、多くの皆さまのおかげです。本当にありがとうございました。また社中や家族の支えがあってのことです。感謝してもしきれません。なにぶんにも浅学非才の輩ですが、今後とも皆さま方のご高配をお願い申し上げます。本当に厚かましいことですが、何卒ご容赦ください。


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