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執筆者の写真木津宗詮

あれから7年

3代聿斎は明治42年に初めて渡鮮し、その後二度に渡り彼の地に赴いています。大正2年に釜山から東莱温泉の迫間別邸に向かう途上、「春の山朝日をうけて笑ひけり」と吟じています。この軸はその道中の風景を描き、その句を賛として認めています。なお、清に朝貢品で評価の高かった朝鮮紙を用いている旨が箱に書かれています。

5年前に、聿斎が建築に携わった迫間別邸が再開発の対象区域となり取り壊されるという情報が入り、後世に記録を残そうと思い、4回にわたり東莱に赴き、また房太郎のゆかりの地である和歌山や大阪、東京、横浜、博多、高野山、釜山、ソウルなどで調査しました。また、その活動を日経新聞はじめ4紙に取り上げてもらいました。その甲斐あって行方不明であった子孫の方とお目にかかることができ、当時の思い出話や写真を拝見することが出来ました。

また、Facebook等を通じ、約200人余りの支援を得て、日本から建築家や数寄屋大工、造園家、カメラマン等13名の有志と赴き現地調査をしました。そしてそれをまとめ、南宗寺田島碩應老師、冷泉貴実子・古田博司・安藤忠雄各先生にも玉稿を寄せていただいて『107年の謎 プサン迫間別邸の調査記録』として上梓しました。

この軸は出版後に三重県の支援者の方から頂いたものです。残念ながら本に掲載することができませんでしたが、私にとっては格別の思いがこもる掛軸になりました。

あれから7年の歳月が経ちました。今となっては遠い昔の出来事のようです。私にとっても東莱の山並みはとても懐かしい思い出です。


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