元大徳寺僧堂師家川島昭隠老師の「大燈国師五条橋下図」です。
乞者堆裏
被席生擒
依貪甘瓜
乞者(こつしゃ)堆裏(たいり)
席(むしろ)を被(かぶ)り生擒(せいきん)せらる
甘瓜(てんか)を貪(むさぼ)るに依って
髭を伸ばし乞食のような貧しい身なりで眼光するどい大燈国師は右手に杖、左手に瓜を持っています。
大應国師から印可を受けながら二十年間、五条橋の下で寝起きし、乞食や病人と暮しをともにして悟りののちの修養していたと伝えられています。花園天皇が勅使を立て、五条橋下に師をさがしますが、師はなかなか見つかりません。ある人から師の好物がまくわ瓜だと聞いた勅使は、乞食の群れに瓜を携えてさし示し「この瓜を口でない口で食う者はいるか!」と聞きました。するとなかから「手でない手でさし出したら食ってやる!」と答えた者がいました。師はその一言で見つかってしまい、大徳寺へ招かれたとそうです。
大燈国師は建武4年(1338)12月22日に遷化しました。一月早めて、今日22日は大徳寺で開山忌が営まれています。
わび茶の開山村田珠光が大徳寺の一休禅師に参じて茶禅一味の境涯にいたり、武野紹鴎、利休居士、歴代の千家の宗匠方が大徳寺の住持方に参禅し今日に至っています。茶の湯にとってその根幹のひとつです。その大徳寺の開山忌がまさに本日です。大燈国師が大應国師の法を継いで大徳寺を創建したことにより今日の茶の湯があるといえます。その恩に報いることを心に銘じなければなりません。
今日は私たちにとって最も大切な日のひとつです!
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