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執筆者の写真木津宗詮

10月19日 稽古場の床3

更新日:2023年10月23日

夜は自宅の稽古です。床に大綱和尚筆になる「聴松風(松風を聴く)」の横物を掛け、前に竹尺八花入遠置き、秋明菊と紅白の秋海棠、男子菊、紅白の水引草を入れ、書院に東大寺大仏殿脇の菩提樹の実を千ノ字に飾りました。



初代松斎宗詮は大綱和尚に参禅し「松斎」の号を授けられました。大綱和尚の『空華室日記』によると 天保8年(1837)3月29日に、大綱和尚の「涼しさを我が物にしてこの宿に絶えず聴くらん松風の音」という詠歌から「聴松斎」という号を与えられました。ところが、翌朔日に「木津宗詮来有願」とあり、松斎の希望で「松斎」と改めたと記されています。ちなみに、大綱和尚は、この歌を漆書きした黄梅院境内の竹で作った一重切花入を松斎に贈り、今日も大切に伝えています。そうしたことから「聴松風」という語に格別の思いを感じています。



また床正面に置かれた竹尺八花入は、日ごろ何かとご高配くださっている修学院の禅華院さんからいただいたものです。清巌和尚が天台宗であった寺を臨済宗に改めて禅華院を開創して今年で400年となるそうで、その記念の品とのことです。材の竹は大徳寺僧堂のもので、禅華院さんの檀家である4代黒田宗傳さんの作になります。ちなみに黒田さんとは同窓で同じ文学部の出身です。日頃からいろいろお世話になっています。



書院の菩提樹は、建仁寺開山で東大寺大勧進でもあった栄西禅師が、宋から日本に帰国するにあたり商船に託した樹の子孫とのことです。3日前に営まれた東大寺開山良弁僧正1250年遠忌法要での家元献茶の際に、樹から散っていたものを持ち帰ったものです。



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