一指斎10歳の時の筆になる「南山如寿(南山寿の如し)」です。
出典は『詩経』小雅で、臣下が君を祝福する詩「天保(てんぽう)」です。
如月之恒、如日之升、如南山之寿、不騫不崩、如松柏之茂、無不爾或承
月の恒(つね)なるが如く、日の升(のぼ)るが如く、南山の寿の如く、騫(か)けず崩れず、松柏の茂る如く、爾に承くる或(あ)らざるなし
欠けも崩れもしないものとして、月や日と並び、南山が引き合いに出されています。南山が崩れないように生命や事業がいつまでも続くこととか、人の長寿を祝うことばとして用いられています。この詩で「如」という字が9回使われていることから、「天保九如(てんぽうきゅうじょ)」という四字熟語ができています。
「南山如寿」は「南山之寿」と同じ意味で用いられ、南山は、長安の南にある「終南山(しゅうなんざん)」のことです。同様の句で「寿比南山(じゅこれなんざんなり)」があります。これは高齢者の福禄を祝う言葉で、「福如東海(ふくとうかいのごとし)・寿比南山」と連句になっています。その意味は、福は東海に長く流れる水のように続き、寿は南山の不老松より高齢であるように、山や海より、長生きするという、おめでたい時に使うことばです。中国では一般的に誕生日メッセージの決まり文句のひとつとなっています。
なお、江戸時代の元号の「天保」があります。こな元号には面白い逸話があります。元号「天保」の出典は、中国の古典の『尚書』です。
欽崇天道、永保天命。
欽(つつし)んで天道を崇(あがめれ)べば、永く天命を保(やす)んず。
「天保」は平安時代後期、堀河天皇の仁平4年(1154)の改元の際に最終候補として挙げられました。ところが左大臣の藤原頼長が「天保」を「一大人只十」と読むことができ、天皇に付き従う臣民がたった10人などとんでもなく縁起が悪いと猛反対しました。そのことにより久寿に差し替えられたそうです。
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