武者小路千家10代以心斎の銘「山端」茶碗です。金継ぎが施され、それが景色となった沓形の斑唐津です。
箱には、
五月雨ははれんとやする
山端の
かゝれる雲のうすくな
りゆく
守(花押)
と花園院の和歌が認められています。
天保6年(1835)に9代好々斎が無嗣で41斎で亡くなりました。急遽、表千家吸江斎の弟以心斎が7歳で武者小路千家に迎えられました。そして高松侯の命により初代松斎宗詮を後見とし、大坂で松斎について茶の湯修行をすることになりました。ところが10歳の時に天然痘により失明してしまいました。ですから以心斎の書付になる道具はほとんど残されていませんが、今日伝わる箱書や墨蹟は松斎が手を取って書いたものや代筆したものです。この茶碗の箱書は松斎の代筆したものです。
木津家と武者小路千家との深い関わりの品と梅雨ということで、先日の茶事で用いました。
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